相生社(あいおいのやしろ)
相生社の隣に、二本の木が一本に結ばれた「連理の賢木」があります。相生社の縁結びの霊験のあらわれによって結ばれたといわれるご神木で、夫婦和合の象徴として縁結びの御利益があるといわれています。このご神木は、年をとって枯れると、不思議と糺の森のどこかに自然と跡継ぎの木が生まれるそうで、現在のご神木も4代目にあたります。また「連理の賢木」の隣の相生社は、古代から縁結びの神として知られる神皇産霊神(かむむすびのかみ)が祀られています。
阿弥陀寺(あみだじ)
●京都市上京区寺町今出川上ル鶴山町14 〈マイレート〉★★★★★


阿弥陀寺は、天文年間に清玉上人が近江坂本に創建したのが始まり。その後、織田信長の帰依を受け現在の上立売大宮東に移転されました。天正10年の本能寺の変の際、清玉は織田信長・信忠父子の他、百数十名の家臣の遺骸を当寺に埋葬したとされました。
弘仁年間(825年頃)に弘法大師が熊野権現の化身から観音霊地の霊示を受け、嵯峨天皇の勅願により観音像を刻んで本尊とし草堂に安置したのが当寺の創始といわれている。また、斉衡年間(854〜857年)に左大臣藤原緒嗣が伽藍を造営したとも伝えられている。後白河法皇は本尊を深く信仰し、霊験により持病の頭痛が平癒したので、本寺に「新那智山・今熊野」の名称を与えられ、以来、頭痛、中風、厄除けの観音として繁栄してきたという。文暦元年(1234年)に後白河上皇を当寺に葬るなど、歴代朝廷の崇敬をあつめているようである。現在、この観音寺は泉涌寺の塔頭であるが、応仁の乱以前は泉涌寺をしのぐ大寺だったという。なお、本寺は「観音寺」の名称よりも、一般には「今熊野」や「今熊野観音」の呼び名の方で親しまれています。
圓徳院(えんとくいん)
●京都市東山区高台寺下河原町530 〈マイレート〉★★★★★


豊臣秀吉の没後、その妻・北政所ねねが「高台院」の号を勅賜されたのを機縁に高台寺建立を発願。慶長10(1605)年、秀吉との思い出深い伏見城の化粧御殿とその前庭を山内に移築して移り住んだのが、現在の圓徳院といわれています。
圓徳院(三面大黒天)(えんとくいん さんめんだいこくてん)
圓徳院の北側に、秀吉が出世時代に念持仏とした三面大黒天が祀られています。 北政所がこの地に祀ったものであり、大黒天、弁財天、毘沙門天の三面を併せ持ち、一つの仏様を拝むことによって三尊のご利益を得るといわれて、今日では、大黒天は福の神、弁財天は学問、毘沙門天は勝利 と子宝の神として、信仰を集めています。
雲龍院(うんりゅういん)
泉涌寺大門を入って右手奥(南)にある泉涌寺の別院。北朝の歴代天皇の位牌を安置する霊明殿と、本堂(重要文化財)がある。庫裏に置いてある真っ黒な色をした鎌倉時代の大黒天像は、左足を一歩踏み出した姿勢がユーモラスで、「走り大黒」と呼ばれています。
大豊神社(おおとよじんじゃ)
大豊神社は、東山三十六峰の一つ、椿ヶ峰の山麓にある。仁和3年(887年)、宇多(うだ)天皇の病気平癒のために勅願社として創建されたと言われ、当初は椿ヶ峰山中にあったが、寛仁年間(1017〜21)に現在の地に移った。少彦名命(すくなひこなのみこと)、菅原道真、応神天皇(おうじんてんのう)を祀る。水はけのよいこの地と生い茂る木々によって作られる適度な日陰が、「椿」の生育に適しており、境内には安達(あだち)、侘助(わびすけ)、黒椿(くろつばき)等、32種類もの椿が11月下旬から5月初旬ごろまで長期にわたって花をつける。椿と並び、末社の狛犬も有名で、大国社は狛ねずみ、日吉社は狛猿など、それぞれが神の使者である動物をかたどっている。特に有名な狛ねずみにちなんで、大豊神社は「ねずみの社」と呼ばれ親しまれています。
御辰稲荷神社(おたついなりじんじゃ)
●京都市左京区聖護院円頓美町29-1 〈マイレート〉★★★★★


御辰稲荷神社は宝永二年五月の新大典侍新崇賢門院が霊夢により、東山天皇に奉請され勅許に依り創建されました御稲荷様で、 私達と最も密接な関係を持つ衣食住の祖神様で、此の世に生を享けている人々は皆常に大神様の深い御恵を蒙って居るのでありますが、 殊に商売芸能を始め交通安全はもとよりあらゆる除災お導きの神様として信仰厚く、 数多くの人々が尊い御陰を戴き御神助に依り危難から免れて居られます等御霊験あらたかな御稲荷様です。
〈マイレート〉個人的な好み、独断と偏見偏で評価してます。
★★★★★・・・・・・目の前にいても、行かない。
★★★★★・・・・・・時間があっても、行くか悩む。
★★★★★・・・・・・時間があったら、行くかもしれない。
★★★★★・・・・・・近くに行ったなら、行く。
★★★★★・・・・・・ぜひ、また行ってみたい。















